神戸事件少年A検事供述書

[これと同内容のものが文藝春秋1998年3月号に「少年A 犯罪の全貌」と題して掲載された。以下は、改行を大幅に略したほかは、ほぼ原文の表現をとどめてある]

[○付き数字は文字化けするので、「まる1」「まる2」のように表記した]

供述調書5

平成九年七月十三日付

 一 前回に続いて話します。今回は、B君の首をT中学校の正門前に置いた後、更に、警察の捜査を撹乱する目的で、神戸新聞社に対し、手紙を郵送した件等について話します。別の機会で話しているように、T中学校の正門前にB君の首を置いたこと、その口に手紙をくわえさせたことは、いずれも警察の捜査を撹乱させる目的でした。そして、僕のこの目的は、その後の新聞やテレビの報道を見て、僕が思っているとおりに、犯人像が僕から逸れて行き、達成することが出来ました。しかし、別の機会で話したように、僕が思ったとおりに報道機関が毎日報道していたため、僕自身、これ以上何をやっても、僕が捕まることはないと思うようになってしまったのです。そこで、僕は、更に警察の捜査を撹乱させるという目的を完璧なものにしようと思い、神戸新聞社に対して、手紙を書こうと思いました。僕が、神戸新聞社宛に手紙を出したのが、平成九年六月三日の午後でしたので、僕が、その手紙を書いたのは、確か、その前日だったので、六月二日の夜だったと思います。手紙を書いた場所は、僕の家の僕の部屋でした。手紙を書くのに要した時間は、一時間三○分位掛かったと思います。手紙を書くに当たって、どんな文章にしようかと考えました。僕自身、心の中では、B君を殺したりすることに満足感を覚える僕自身に嫌悪感を感じたりすることもあったので、その嫌悪感を何とか正当化するための理由を考えました。そして、考えついたのが、本当は僕がB君を殺したり、B君の首を正門前に置いていたにも関わらず、あたかも僕の他に犯人がいるとして、その犯人像を、僕がイメージして、僕が今まで持っている僕の知識を駆使して、僕がイメージしている犯人像に僕自身がなりきって、手紙を書くことにしたのです。従って、僕が書いた手紙の内容は、あくまでも僕がイメージした犯人像が持っている動機を書いたものであり、いわば僕の作文であって、僕がB君を殺したりした理由とは全く違っているのです。神戸新聞社への手紙を書くに当たっては、まず僕は、ノートに粗筋みたいな文章を書き出し、その文章の順番を並び替えたりしながら書いていきました。なお、粗筋みたいな文章を書いたノート等は、後で燃やしています。
〔この時本職は、平成九年六月四日付、司法警察員押収にかかる「コクヨ製便箋二枚」を示し、その写しを、資料一として、本調書末尾に添付することとした。〕

(No.)9
 神戸新聞社へ
 この前ボクが出ている時にたまたまテレビがついており、それを見ていたところ、報道人がボクの名を読み違えて「鬼薔薇」(オニバラ)と言っているのを聞いた
 人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は、暗号でも謎かけでも当て字でもない、嘘偽りないボクの本命である。ボクが存在した瞬間からその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない
 だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない
 そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。
 最後に一言
 この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。よって自分の名が読み違えられたり、自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに、わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである。ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。だから警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。今後一度でもボクの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼推な犯罪者と思ったら大間違いである。
 −−−ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている−−−
 PS 頭部の口に銜えさせた手紙の文字が、雨かなにかで滲んで読み取りにくかったようなのでそれと全く同じ内容の手紙も一緒に送る事にしました。

 今示された「神戸新聞社へ」と記載のある書面は、僕が、作った神戸新聞社宛へ郵送した手紙に間違いありません。この手紙の中で、僕が、はっきり別のものから取ったと覚えているのは「吊される」という言葉でした。本かテレビか映画のどれであったかまでは覚えていませんが、これらのものから「吊るされる」という言葉を知り、その言葉を書いたのです。手紙を書く時には辞書を見ながら書きました。僕が、漢字を知らなくて、辞書を引いて書いた漢字については覚えています。その漢字は「愚弄」「追跡」「銜えさせた」「滲んで」でした。その手紙のナンバーの欄に9と書いていますが、書いた理由は、ただ単に便箋にその欄があったので、僕が一番好きな数字を書いただけなのです。僕が一番好きな数字は「9」という数字なのですが、その理由は切りのいい数字は10だと思っているので、その一つ前の数字が9であることと、電卓などを叩いた時、一番大きな数字は、「9」を何度も叩いた数字になるということからです。

 二 神戸新聞社へ出す手紙の他に、僕は、B君の口にくわえさせた手紙と同じものを、もう一度作りました。その理由は、手紙の方に書いたとおりなのですが、テレビや新聞等を見ていて、僕の書いた文章がはっきりと伝わっていないと思って不安になり、再び同じ内容の文章を送ることにしたのです。何故、不安になったかというと、B君の首を正門に置いたことや、B君の口に手紙をくわえさせたことは、それぞれ捜査撹乱という目的があってやったものの、どの一つが欠けても完全なものにならないと思ったからでした。新たに手紙を書いたりすれば、僕の筆跡が警察に分かってしまうと思ったものの、僕自身、警察の筆跡鑑定を甘くみていたのです。
〔この時本職は、平成九年六月四日付け、司法警察員押収にかかる「封書」及び「文書」を示し、各写しを資料二及び資料三として、それぞれ本調書末尾に添付することとした。〕
 今示された「封書」も「文書」も、僕が書いた物に間違いありません。「文書」の内SHOOLL KILLERと書いていますが、別の機会でも話したように、僕自身、最初B君の口にくわえさせた手紙にはSHOOLL KILLと書いていました。それはKILLだけで、キラーと呼ぶのだと思っていたからでした。しかし、その後「キラー」とするためにはKILLERとしなければならないと分かったので、神戸新聞社に送った手紙については、「KILLER」と書いたのです。「封書」の裏には「ボクの名は洒鬼薔薇聖斗 夜空を見るたび思い出すがいい」と書きました。この文章の中で、「夜空を見るたびに思い出すがいい」という文章は、僕が考えたものではなく、確か、以前にテレビの「洋画劇場」で見た外国映画に似たような文句があったのを思い出して書いたのです。この「文書」や「封書」は、僕の家にあったスケッチブックを使いましたが、もしかしたらそのスケッチブックは後で燃やしたかも知れません。ただ、僕の家には、いくつものスケッチブックはありました。

 三 手紙や「封書」及び「文書」を作った僕は、それらを家にあった茶色の封筒に入れました。封筒の封は、これも家にあった赤色のビニールテープでしました。その赤色のビニールテープの本体部分は燃やしていませんので、家にあると思います。切手も家にあった切手を使いました。封筒に切手を貼った後でしたが、僕は、どこからこの手紙を投函したか分からないようにするために、その切手の上から、家にあった水糊を薄く塗りました。この点については、マスコミの記事は当たっていました。水糊は、乾いてしまうとビニールと同じ様な性質になると思うので、インク系統は弾かれると考え、郵便局のスタンプ印が見えにくくなるだろうと思ったからでした。
〔この時本職は、平成九年六月四日付、司法警察員押収にかかる「郵便用封筒」を示し、その写しを資料四として、本調書末尾に添付することとした。〕  今お示しの封筒が、僕が、神戸新聞社宛に手紙を出した時に使った封筒であり、やはりこの封筒も家にあった封筒を使いました。

 四 この様にして、僕は、神戸新聞社に出す手紙を作り、六月三日の午後に、須磨北郵便局管内の菅の台にある郵便ポストから投函しました。勿論、ポストに投函した時、そのポストが須磨北郵便局管内のポストかどうかまでは知りませんでしたが、マスコミでは「神戸西郵便局管内」等と言っていたものの、テレビでは「須磨北郵便局管内の可能性もある」と言っていました。僕は、神戸西区では投函していなかったので、神戸西郵便局管内から投函されたと言っているマスコミは嘘だと思いました。しかし、テレビが言っている「須磨北郵便局管内」だというのであれば、僕自身、須磨区菅の台のポストに投函していたので、そのポストは須磨北郵便局管内にあるのだということが分かったのです。

五 僕が、神戸新聞社宛に手紙を出した状況は、今まで話してきたとおりです。ところで、僕は、平成九年五月一五日からT中学校を休んでいましたが、別の機会に検事さんから五月一五日からB君の首を置いた五月二七日までの間に、T中学校の正門に自転車で行ったことがあるか。と訊かれ、その時はない。と答えていました。しかし、その後、猫の話を訊かれていく内、五月一五日以降に、T中学校の正門に行ったことを思い出したので、そのことについて話します。T中学校の正門へ行った理由は、猫の死体を置きに行ったのです。その日がいつであったかまでは、はっきり覚えていませんが、五月一五日以降で、しかもB君を殺した日よりも以前であったことに間違いありません。別の機会で話したように、僕は、小学校の六年生頃までは、よく猫を殺していました。しかし、中学校に入ってからは、猫を殺したということはなかったと思います。その理由は、すでに別の機会で話したように、猫を殺すのに飽きたということと、あと一つは、あまり猫がいなくなったということもありました。僕が殺していた猫というのは、僕の家の庭から見て右側の家の人が猫を飼っていたのですが、その飼い猫が子供を産んだりし、その子猫が大きくなって野良猫となり、僕の家の付近には、野良猫や子猫がたくさんいました。その猫を小学生の頃は殺していたのです。しかし、中学校に入った頃には、あまり猫を見かけるようなこともありませんでした。ところが、この時は、たまたま子猫の鳴き声がしたので、その子猫三匹を見付け、「龍馬」のナイフて、その内二匹の子猫の首や両手足を切ったりしました。そして、その三匹の子猫を持って、T中学校の正門まで行き、正門前に三角形の形に置いたりしたのです。ただ、この時、自転車に乗って行ったのかどうかまでははっきり覚えておらず、むしろ歩いて持って行った可能性の方が強いと思います。従って、五月二四日以降、B君の首を置いた五月二七日までの間は、僕は自転車に乗ってT中学校の正門前まで行ったことは一度もありません。

 六 僕が、五月一五日から中学校へ行かなくなった理由については、すでに別の機会で話している通り間違いありません。
   問 君は、友達などに、学校に行かない理由として「先生から殴られた」とか「先生が来なくていいと言った」等と話したことはないか。
   答 その様な話をしたかどうかはっきり覚えていません。仮に、話していたとしても、それは、僕が学校に行かない理由付けを適当に話したに過ぎず、本当の理由とは違います。

 七 今回僕は、B君を殺したり、あるいは、後日話しますが竜が台で女の子を殴ったり刺したりし、一人の女の子については、僕が殺してしまいました。何故、僕が人間の死に対して、この様に興味を持ったかということについて話しますが、僕自身、家族のことは、別に何とも思っていないものの、僕にとってお祖母ちゃんだけは大事な存在でした。ところが、僕が小学生の頃に、そのお祖母ちゃんが死んでしまったのです。僕からお祖母ちゃんを奪い取ったものは「死」というものであり、僕にとって、死とは一体何なのかという疑問が湧いてきたのです。そのため、「死とは何か」ということをどうしても知りたくなり、別の機会で話したように、最初は、ナメクジやカエルを殺したり、その後は猫を殺したりしていたものの、猫を殺すのに飽きて、中学校に入った頃からは、人間の死に興味が出てきて、人間はどうやったら死ぬのか、死んでいく時の様子はどうなのか、殺している時の気持ちはどうなのか、といったことを頭のなかで妄想するようになっていったのです。
   (署名・拇印)

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